福島原発の沈静化のために現地で奮闘している作業員、警察・消防・自衛隊の方々に感謝をするとともに、無事の帰還を祈ります。
また全世界からの支援・援助に感謝します。
記録のために、地震のあった前後から今日までのことを書いておこうと思う。
現在3月19日。数時間前にも茨城で強い余震があった。(リンク)
1時間に一回ぐらい地震が来る。ほんと勘弁してもらいたい。
3月はじめ。
銃夢LO第104話の作業に入る。
しかしリアル人生NG劇場のネームがボツになったことと、新車レガシィアウトバックが納車になったことで集中力はバラバラ。やる気ぜんぜん無しの状態で下書きに入る。
理由は思い当たらないが下痢をしはじめる。
3月6日
眼鏡のツルが折れてしまう。
壊れた眼鏡はアイメトリクスというブランドで、扱っていた学園都市の店がなくなってしまったため、土浦まで行かなければならない。
とりあえず昔の眼鏡を出してきて仕事を続けるが、度が合っていないせいかひどく目が疲れる。
3月7日
雨だったため眼鏡の修理は延期、仕事を続行。
頭痛と下痢がひどい。
3月8日
晴れたので、ツトムとともにイオン土浦店に眼鏡の修理をしに行く。
眼鏡の部品があったため意外とすぐに修理は終わる。下痢のため店内のトイレを使用。
なんだか仕事をする気分ではないので、そのまま筑波山のまわりをぐるっと回ってドライブした。
筑波山の裏の方は行ったことがなかったのだが、関東とは思えないほどの山間地で驚いた。
3月11日
やっと仕事への集中力が出始める。
地震が起きた午後2時すぎ、21pめの下書きの最中だった。
ふつうより強い揺れに手を止める。目の前の棚のファイルや火星儀がバンバン落ち始めるが、なすすべもない。
かなり長い揺れが収まったあと、家の中の被害を見て回る。
机類は振動で動いてしまい、重いG5やMacProもずれてしまった。
パソコン机の上にあるエレクターの棚は天井への突っ張り棒がぜんぜん役に立たず、奥の足が机から落ちて傾いてしまっている。
大きな複合機(スキャナとプリンターを組み合わせたもの)も移動してしまった。
廊下の壁際に飾ってあった食玩フィギュアがほとんど落下し、足の踏み場もない状態になっていた。
AVルームは悲惨な状態で、部屋の四隅に立っていたトール形スピーカーはすべて倒れ、無精して積みっぱなしになっていた大量のDVDの山が崩れて大変な惨状。
幸いにしてテレビやモニタが倒れたりはせず、機械類が壊れたりはしていない模様。
また壁に掛けてあるモデルガン類も落下したものは一つもなかった。
家屋にも室内からチェックするかぎり損傷は見られない。
つーちゃんと手分けして、散乱した本やDVDの後片付けをしている最中、第二波の地震が来る。
震源地が茨城県沖だったためかなり大きく、この時に飲み残しのコーヒーが入ったマグカップが仕事机から落ち、床のカーペットに大きなシミを作ってしまった。
ゆきと帳の3月11日の写真は第二波の地震が来たあとに撮影したもので、かなり片付けた後のもの。
一通りの片付けが終わって落ち着き、ネットやテレビのニュースをチェックして、どうやら大変な被害が起きていることを知る。
下妻の両親のことが心配になり、何度も電話をかけてみるが通じない。
直接車で行って安否確認することになった。
途中のつくば市内の交差点の信号がついておらず、渋滞が起こっていて、下妻の実家に着くまでいつもの1.5倍ぐらいの時間がかかってしまった。
下妻に近づくにつれ、道沿いの家の屋根瓦が落ちたり、塀が崩れたり等の被害が目につく。
下妻の実家に着く。両親は買ったばかりの新車ステップワゴンに避難して無事。
停電しており、水道も止まっているという。固定電話も携帯電話も通じない。
つくばの家に避難するように言ったが、車の中で過ごすから平気だ、と言ってきかない。
仕方がないので帰る。
帰りは暗くなっている上帰宅ラッシュに重なったのか、大変な渋滞になってしまっていた。
信号はほとんどついていなかったが、それでも事故がなかったのはさすが日本の治安意識というところか。
帰宅し、水道の出が悪くなっていたので断水を危惧して浴槽に水を張っておく。
3月12日
水道の水が出なくなっていた。
電気は止まらなかった。(うちはソーラーパネルを導入しているので日中はあるていどの電力を確保できる)
トイレの水は浴槽にためておいた水をくんで流した。
そういえば3月に入ってからずっと悩まされていた下痢が治っていた。
やっぱり下妻の両親が心配なので、昨日と同じく車で避難の説得に行く。
途中、レガシィの燃料がこころもとなかったので、行きつけのガソリンスタンドで補給する。小さな行列が出来ており、10分ぐらい待たされた。(しかしこのタイミングで燃料補給しておいて本当によかった。19日現在茨城全域でガソリン不足のため、スタンドの前に2kmぐらいの給油待ち渋滞が発生している)
下妻は相変わらず停電・断水状態。にもかかわらず両親は頑固で、「戦争だって生き抜いたんだから」などと言ってつくばへの避難を受け入れようとしない。すごすごと手ぶらで帰ることになった。
帰りにホームセンターや電気屋がやってないか見て回ったが、軒並み閉店。
ファミリーマートがやってたので寄るが、弁当・パンの棚は完売してガラガラ。
ペットボトルのお茶とスナック類、ピザまんを買って帰る。
3月13日
ツトムの流山のアパートを見に行くことになった。
千葉は飲食店などもふつうに営業しており、平穏そのもの。
ツトムのアパートも、部屋の中もほとんど荒れているようすはなかった。
帰りにホームセンターとヤマダ電機に寄って、懐中電灯や電池を買おうとしたが、完売状態。
ヤマダ電気の店舗内の柱のまわりのガラスにひびが入ってたりして、それなりに揺れたことがうかがわれた。
帰宅後、電話で両親と連絡が取れ、下妻は電気が回復したとのこと。少しほっとする。
3月14日
流山の方が正常に生活できることがわかったので、ツトムはアパートに帰宅する。
3日も風呂に入っていないのでさすがにつらくなり、少量のお湯で体を洗う。
電力消費を最小限にするために一階の居間のこたつでTVのニュースを見て過ごす。
3月15日
計画停電の具体的なグループがニュースが流れはじめる。
つくばは三つのグループに含まれているのだが。
冗談じゃねえぞ。
いつ停電してもいいように、夕方は早めに寝ることにする。
イブニングの寺田さんから安否確認の電話が来る。
講談社は高層ビルなので、編集部が大変な状態になっているのではないかと心配していたが、意外にたいした被害はないとのこと。
イブニングは予定どおり発行できるように進めているとのこと。
3月16日
水道は試験給水とかでちょろちょろと水が出るようになる。
昨日は結局計画停電はなかったようだが、装備が心許ないので、原発の放射能が心配なものの車で買い出しに出ることにする。
近くの出光のガソリンスタンド前から給油待ちの車の列が2kmぐらいのびていてびびった。
それ以外は車の量が少ない。いつもの3分の1ぐらい。
ホームセンターはやってなかったが、ケーズデンキは入り口だけでワゴンセールみたいなことをやっていた。ここで懐中電灯とラジオをゲット。
その後スーパーで食料を買う。牛乳・納豆・パン類は完売状態、カップ麺はお一人様3個までだったが、レトルトカレー、パック入りおでん、ソーセージは普通に買えた。
帰りにラーメン屋でラーメンを食べた。食べてる最中にも余震がきたが、店内の家族連れの小さい子供達は地震にも気付かず声を上げてじゃれ合っている。
いつもは正直「ガキうぜぇ」と思うことも多々あるが、このときは子供達の生命パワーに癒された。
計画停電の方は、茨城は被災地だということで免除されたらしい。
しかし東電のやることは信用ならないので、いつ停電してもいいように暗くなる前に寝る。
3月17日
水道局のサイトには相変わらず「試験給水なので節水してください」とあるが、水道の水圧は正常になりふつうに水が出るように見える。
水がきてない地域の人には悪いと思いつつ、風呂をふつうに沸かして入浴する。
生き返った。
3月18日
ホームセンターに行き、バールとかヘルメットとかいろいろ買った。
耐震マットは今回の地震で有効性を痛感したのだが、同じタイプの製品の数がなくて、しようがないからタイプばらばらだがあるだけ買ってきた。値段が高いのも痛い。
帰り道、いつも農林関係の研究所の桜並木を通る。今はまだ桜が咲く気配はない。
「いつもなら、桜前線がニュースに上る時期だな…」と考えると、急に悲しくなってきた。
桜はいつもどおり、咲くべき時に咲くだろう。
地震も桜も自然の営みであり、人間の感傷など無関係にやってきては去る。
家に着いてから、家のまわりを見て回った。
外壁のパネルの継ぎ目が割れてすきまができているところを数カ所発見してしまった。
これほっといたら雨水が染みこんで腐っちゃうよな…。
外壁を全部リフォームするとなるといったいいくらかかるんだ…。orz
3月19日
なにか建設的なことをしようとあれこれ考える。
中断中のGLO104話の原稿の他にも、コミックスの巻末ページ、新装版GLOの描き下ろすかもしれないカバーのラフなど、やれることはいろいろある。
しかしいざ動き出そうとすると余震がグラグラきて、意気がくじかれる。
結局、夜遅くゆきと帳に書きこむのがやっとでした。